プロバイヤー井手、3年半勤めたretroを退社しました。

こんにちは!コーポレートブログの登場は最初で最後になります。
retro.jpプロバイヤーの井手です。

特に買取ニュースではお世話になりました。ご愛読いただきました皆様へ心よりお礼申し上げます。
ちなみに買取ニュースではわざと「井出」にしてましたが、実際は「井手」です。読みは一緒です。

私井手ですが、2025年12月末をもって、約3年半勤めた(育休期間が1年あったので実質稼働は2年半くらい)retroを退職します。
そして同時に、5年ほど居させていただいた買取業界自体からも卒業し、元いたIT業界に戻ります。

一応皆様から【プロバイヤー】と言われてますので、烏滸がましいですがプロバイヤーを自称させてください笑
今回はプロバイヤーである私が、なぜretroはおろか買取業界自体を辞めるのか、最後に色々語っていきたいと思います。

※こういう文章を通称【退職エントリ】というそうです。ということで、井手の退職エントリ、ぜひご覧ください٩( ‘ω’ )و

 

某大手IT企業を退職して買取業界に入ったきっかけ

コンサルタント?いいえ、ゴリゴリの営業です。

私自身新卒から買取業界にいたわけではなくて、元々IT業界にいまして、ECコンサルタントをやっていました(意外や意外?)
某クリムゾンレッド的な会社のECコンサルタント(以下、ECCとします)でしたので、EC業界の真髄的なガチデータを職務上見ることができる環境でした。

ムムッ!!!!!!!!!!!(クリムゾンレッドと伏字にした意味の無さ…笑)

ちなみにR天のECCは、表向きはコンサルタントと言いつつ実際は広告を売る営業部隊です。コンサルタントじゃないんです、営業です。大学卒業したての社会に出たひよっこが経営ウン十年のお店のコンサルなんてどう考えてもできないじゃないですか。
それなのになぜ、新卒からECCに配属されるのか?そう。それはECCがゴリゴリの営業職だからです。※注:流石に新卒で割り当てられるお店は流通の高くない駆け出しのお店がほとんどです。

すべての道はローマに通ずみたいな感じで、初手はご機嫌伺い、そこから「なるほど〜でしたらRPP広告やりませんか?5000円からできますので〜」「スーパーセールの仕込みしましょう!そのためにはバナー広告をゴニョゴニョ」みたいな感じでコンサル寄りの仕事をしても最終的に広告営業に持っていくのが私達の仕事です。

どギツイKPIと毎日睨めっこ、月末が近づくとデイリーでカバレッジ数値が落ちてくるあの恐ろしさ、いやー。刺激的な環境でした。

そういえば、R天の営業、とりわけECCは激務と巷ではよく囁かれていますが…
膀胱炎になるとか、終電逃して当たり前?と書かれているブログもあるんですが、私がいた部門はそこまでひどくなかったです。
ただ風邪はめっちゃ引きやすかったのと、肌荒れは過去一酷くて、当時の写真はノーマルカメラだと盛れてない写真しかなかったです。

ちなみにR天の営業に関しては、よければこちらの記事もご覧ください
(読む感じ結構前に在籍されていたか、ジャンル担当といって流通規模の高いお店を主として担当していた敏腕ECCの方なのかなと思います。)

あ、R天の一番好きだったところは社食です。そこかい!
朝・昼・晩は無料で食べられるという神制度。おいしかったですし、一人暮らしの身としては普通にありがたかったですね笑

メインが9種類くらい(お肉料理3、お魚料理3、ラーメンとうどんが3って感じでした)あって、ご飯と副菜はビュッフェみたいな感じでした。毎日メニューも変わるので楽しかったなあ…
たまーに出てくる有料メニューがあって、かんぱち丼は確か+200円で選べたメニューだったと思います。(たまたま写真残ってました)

 

ECCは非常にハードな業務ではあったのですが、ものすごく営業マンとしては成長できる環境でした。
基本会社の決裁権をお持ちの方がお客様なので、そのような属性の方と交渉をするというのは滅多にない経験だと思いますし、toCの買取業界に行った後にも役立つスキルになっていたと思います。

あと、ECCのメンバーは人として・営業マンの両面でレベルが高かった…
当時のメンバーはほぼ散らばってしまいましたが、今もIT業界の第一線で働いている方ばかりですね。
ビジネス戦闘力ガン積みの猛者しかいない環境で戦うというのは、貴重な経験でしたね。

 

そうだ、買取業界、行こう。

って感じで、ハードでありながら社食に感謝しつつ笑、企業戦士として頑張っていたわけなんですが。
やはりECコンサルタントをやっていると思うのが「いつかは自分でECを立ち上げてやってみたいなあ」と。

超売れ筋のお店のデータを分析したり、駆け出しのお店を数百店舗担当してきて分かったのは、薄利多売のビジネスは自分にはあっていないなーと感じました。

当時私の担当しているお店で売り上げを作れていたジャンルが【中国輸入】【韓国服】で、再現性があるジャンルなのでありだなーと思っていましたが、1個1個の単価が低いので、どうしても数をこなさないと利益が積めないのが難しいなと感じていました。
そういえば当時はSHEINやTEMUがなかったので、おそらくその頃の担当店舗さんは相当やられてしまったんじゃないかと…ビジネスは難しいですね。

1個1個の粗利が取れる商材といえばブランド品かな、そのためには偽物か本物か区別できないといけないし、買取店に入って勉強するか」と思ったのが全ての始まりです。
ブランド品にしようと思ったのは、単価の他にも当時からブランド品が好きだったことが大きいです。ボーナスでブランド品何買うかしか考えていなかったですね。笑

ちなみに当時、IT業界の友人に「買取業界行くわ」と言ったら、全員から反対されましたし、当時は今の夫と別の男性と交際していましたが、正気か!?とブチギレられました。笑
皆口を揃えて言ったのが「年収下げていく業界なの!?」でした。まあ、私も買取業界に興味がなければ同じ意見なので、そりゃそう言うよね。

そうして何社か受けて、内定をいただいた中から自分に合ってそう(かつ家から近い)買取店であったブランドピース(現ティエリー)を選んで入社しました。※残念ながら現在、池袋店はすでになくなっています。
当時は全然右も左もわからなかったのですが、入ってみると【エルメスが買取品の約8割】という特殊な買取店だったという…

出典:THIERRY

ちょうど転職した時がコロナ禍真っ只中で、人員の問題で東京の店舗は店長(社長)と私の2人体制でした。
つまるところ、店長が出張買取に行っていたり、休憩に行っていたりすると自分でどうにかしないといけない環境だったわけです。
元々ブランド品が好きであることはかなりアドバンテージだったとは思うのですが、それプラス自分でやらないとどうにかならない環境であったことが、プロバイヤー井手を作ったと言っても過言ではないなと思います。

ちなみに店長には当時から「脅威の未経験」と言われていたので、元々適性は相当あったんだと思います。
私としては努力したという自覚が全くなくて、知識が増えたりしていくのが楽しくて楽しくてという感じだったので、本当に天職なんだと思います。(ドヤ顔)

蛇足ですが前職は社長と後に歯車が合わなくなってきて、方向性の違いで退社しましたが、今は当時の社長に心から感謝しています。
大阪に本社がある会社ですが、大阪の皆様も本当に素敵な方ばかりでした。この場を借りて心より御礼申し上げます。

※現在、ティエリーはバイセルテクノロジーズの完全子会社となっておりまして、社長は当時から変わっています。

 

retroに転職、査定品のレベル差で適応障害になる(マジ話です)

そんなこんなで私はretroに転職したのですが、retroに転職した決め手は前職とのスタンスが一緒だったことです。

今はだいぶクリーンになってきましたが、それでもまだまだこの買取業界、情弱は狩られるというか。安く買い叩けるバイヤーほど優秀!みたいな評価の会社も実は結構あります。

確かに営業職としては優秀なのかもしれませんが、果たしてそのスタンスでお客様はずっとサービスを使ってくれるでしょうか?
私は「適正な価格を提示して、お客様に長くご愛顧いただきたい」と言うスタンスだったので、そのマインドがretroと合致していたので入社させていただくことにしました。

 

まあマインドは一緒だったわけですが、ここで問題、大問題が発生します。
そうです。前職がエルメス特化型の買取店でしたので、顧客単価がものすんごく高いお店だったんですね。

エルメスはリボンからほどくの当たり前体操みたいな環境(ほぼ毎日、新品のバーキンやケリーをたくさん査定させていただく環境です…)にいたので、すごいのは私ではなくお客様であるにも関わらず、プライドがチョモランマ級に高くなっていました。当時のバイヤーの皆様すみません。

覚悟はしていましたが、自分の予想以上に査定品のレベル差に見事にやられました。多分顧客単価で言うと1/10はおろか、1/20くらいだったと思います。
ここまでの差があると流石にしんどくて、仕事に行こうとすると足がすくんだり、目の前がぐらついたりとメンタルが不調に。適応障害の診断を受けるレベルになっていました。

自分にとって、エルメスってものすごくアイデンティティだったんだなと。
ブランドピース時代はNO HERMES, NO LIFE. でしたからね。

 

満身創痍の井手の前に突如現れた救世主

これは流石にミスったなと。いやー変に職務経歴を作ってしまった…今辞めたら変なキャリアがついてしまう。
でも精神的に辛くて辛くて。どうしようかと悩む時期がありました。

そのタイミングでですよ。前職の部長から「井手さん元気?ギャラリーレア行かへん?」というお電話が…

これは…救世主ですか?RIZINでいうところの勝利後ミュージック「たたたーんたーん たたたー…」
あのミュージックが頭の中に流れていました。

これは1R目で速攻ギロチンチョーク食らったものの、うまく抜けて逆転KO勝ち状態だったわけですよ。胸熱展開ですよ。
前職とギャラリーレアさんはめちゃくちゃ似たお店だったので、「そうだな、機会をいただけるなら行かせていただこう…メンタルを考えたらこの選択が最善だ…」と思い、そのオファーを受けようとしました。

出典:ギャラリーレア

 

ただ、せっかく入った会社、ここで逃げるのはアリなのか?
できることをやってから辞めるでいいのではないか?

転職してみて何よりもやばいと思ったのが、バイヤーのレベルでした。(すみません当時のバイヤーの皆様 ※2回目)
他社のブランドバイヤーとして戦えるかと言われると疑念しか残らないレベルでした。

今辞めたら今のメンバーはどうなるんだろう。この状態のままだとスキルアップもできずにキャリアが積めないのではないか?それならば他社からの転職者である自分が、教えられることは色々あるんじゃないだろうか…

他社に送り出しても第一線で通用するバイヤーを育てるのが井手の使命や!
と思い、ギャラリーレアさんのオファーは断り、retroでの商品並びに教育面の改善・向上に努めることにしました。

 

改善に努めた結果どうなったか

まずは「他社にLINE査定で負けまくっているので、負けないようにどうするか」でした。

私がretroに入社した頃は、買取金額の算出をする際にオークションの結果に依存している状態でした。
一般的にはオークションより小売の方が高く売れるので、小売で売れることを見越して高く値付けする買取店には、そりゃあ負けてしまいますなと。
小売に向いているものは、ものによっては業者オークションの金額より高く出してみよう、と言う当時としてはなかなか御法度というか、荒技な手法を伝授しました。

小売に向く商材を知るにはトレンドを熟知しておかないといけません。
当時業界歴が2年しかなかったとはいえ、私はIT業界時代からボーナスや給与の大半をブランド品に注ぎ込んでいたトレンドの鬼です。故にトレンドに一番詳しい自信がありましたので、流行りのバッグやジュエリーをバイヤーに教え、トレンドで勝てる買取店にしていこう!という方針を立てました。

トレンド性の高い商品・高単価商品を買えるようになることは、そのぶん顧客ターゲットも広がるというわけで。
そうすれば会社の売り上げも上がり、バイヤーのスキルも身につき、私のメンタル・査定モチベーションも上がってwin-win-win!作戦です笑

で、今と当時を比べると、商材はかなり改善が見られたと思います。
幅広い商材、特に昔は不得手としていた高額アイテムが届くようになってきました。

retroバイヤーの素晴らしさは、メンバーの実直さ・真面目さだと思うんです。
「他社からの転職組といえ、業界歴2年しかない若造の意見とか受け入れるか!」って思う人もいると思うんですよね。

そんなことは全くなくて、いい案を取り入れていこう!という素直な姿勢が、素晴らしいと感じました。
私の案を受け入れて、実行に移してくれたメンバーあっての結果です。本当にありがとうございます。

私が入った2022年に比べると、本当にいい商品が増えたな〜って思いました!

 

どう変わったのか?2022→2025年で調べてみた

まずバイヤーの人数としては、6名(うち1名がマーケティング部門に異動)→10名に増員しました!
2023年から新卒採用を行なったことで、うち2名は新卒、3名は中途採用です。

そういえばしばらく私以外女性バイヤーいなかったのですが、新卒で女の子が入ってくれました٩( ‘ω’ )وので、紅2点ですね笑
あとこの間、実は別の部門の含め社員の離職者が出ていません。井手が久々の離職者となってしまいました。女性バイヤーもまた1名に戻ってしまうので、モウシワケナイ…

また商品に関しては、当時ほとんど買えなかったブランドジュエリー(カルティエ・ヴァンクリなど)が買えるようになりました!
調べてみたのですが、2022年3月のブランドジュエリーの買取点数が17点。2025年9月で45点と、実質3倍近く買取数を増やせています

バッグもジュエリーもそうですが、いわゆる現行品のご依頼が本当に増えてきました。
私もそうでしたが「retroはアパレルのイメージ」でしたが、少しずつ「アパレルも強い、でもバッグもブランドジュエリーも強い会社」になりつつあるのかな?と思っています!

 

退職に至った理由

さてそんなガチプロバイヤー井手、天職とすら思う買取業界自体をなぜ辞めるのかというお話ですが
正直なところ「もうやれることはやり切った」がいちばんの理由だったりします。

いや、5年くらいでやり切ったって言うな!と言われそうですが、本当に自分の中では「やり切った」なんですよね。
四六時中ブランド品のこと考えてましたし、休みの日も相場表に手が伸びてましたし、次は何が流行るだろうって夜な夜なX(旧twitter)徘徊してましたし。カルピスの原液を煮詰めたばりには濃い5年間でした。

あとは子どもが生まれ、どうしてもリモートの環境に頼り続けるのもなあ…というのもあり(※通常買取業界でリモートができる会社はほとんどありません)、それであればフルリモート前提かつ、フレックスで柔軟に働ける会社に行けたらいいな、それならば元いたIT業界に戻るのもありだなと思った次第です。

新しい領域に挑戦したいなーと思っていたところ、たまたまR天時代の同期(戦友)である友人から声をかけてもらう機会があって、リファラル採用で他社に行くことになりました。

 

次はどこ行くの?

次はAI関連のSIerで、BizDevとして勤務します!
BizDevはビジネス界にいえる総合格闘家という感じなので、もう本当になんでもやりますって感じです。キック(インサイドセールス)もパンチ(環境構築)も締め技(コンサルティング)もなんでもやります。

久しぶりのメガベンチャーです。
上場企業ということで、市場に評価がさらされる環境という難しい部分とうまく戦っていく必要がありますね。
ハイキャリアで優秀な方がすごく多い会社ですが、そんな猛者たちに負けず!社内だけでなく市場からも評価していただけるように頑張って結果を残していく所存です!

ハードワークIT企業戦士に戻るのと、リモートワークなのでまずは—ITの呼吸—環境構築かなということで。
環境を整えました。スペックガン積みMBPとHHKBのキーボード、曲面モニター、あとモニターを縦置きするのはIT企業マンっぽいですよね笑
あとこれが一番大事!癒しデバイス(ネコチャン)!

たまーにキーボード打つと猫の手が飛んできますが、ハードワークへの準備万端です!笑

作業スペースは半分、猫。

 

おわりに

私は買取業界から去りますが、せっかくIT業界、特に最近伸びているAIの領域にいくので、買取業界×AIで何かイノベーションを生み出す機会があれば、ぜひ参画させていただきたいなと感じています。

結局ITに戻ったのなら、買取業界での5年間は回り道だったね
そう思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私としては全然そんなことなくて。

もちろんそのままIT業界に残り続けたらそれはそれで違った未来があったかもしれませんが、私は5年前、周りの反対を押し切ってでも買取業界に入って本当に良かったです。後悔は全くしていません。
そして、買取業界を辞めることに関しても悔いはありません。

私のように業界を変えて転職する、出戻りする、という方もいらっしゃると思います。
この歳になって思うのは、人脈は宝ですね。
私もIT業界はやめて5年以上経ちますが、それでも縁を切らさず飲み会等は積極的に参加したりしていました。故にIT業界に戻るという選択ができたと思うので、そういう貴重な縁はこれからも繋いでいきたいですね…

retroはきっと、一度退社しても戻って来れる・快く受け入れてくれる環境だと思います。
とはいえ恩を忘れず、次の会社でも結果を出し続けることが自分にとっての恩返しかなと感じますので、これからも頑張っていこうと思います!

oops!めちゃくちゃ長くなってしまいました。
最後までお読みいただいてありがとうございました!皆様、またどこかでお会いしましょう٩( ‘ω’ )و